関係をたもつこと

関係をたもつことについて。

わたしは社会人になってから、いいなと思ったものをより一層簡単には買わないようにしていて、とくに「高級なもの」と「長持ちしてしまうかもしれないもの」がそれにあたる。

たとえばティーカップ。以前記事にもしたものもあるが、気に入ったもののなかでさらに吟味して買うものを選びつつ、どこに置くか、飾っておきたいものなのかなどを考えて購入している。

 

cymk.hatenadiary.com

 

吟味しただけあって大事につかっているし、今でも大変お気に入りだ。

そういう「吟味して選択した出会い」のものに囲まれるほど、異質になってくるものがある。

それがこれだ。

 

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これはなにか。=ハワイ土産の余りです。

中学3年生のときに両親に連れられて行った、今のところ最初で最後の海外旅行。私の家は海外旅行は一度きりだった。

多分だけど、親が飛行機を苦手に思っているのだと思う。私だってあの大きな装置が空を飛ぶことにロマン半分恐怖半分だったし、できるなら乗りたくないという感情がある。このマグカップを見るたびに、13時間くらい乗った飛行機で暇すぎたこととよく揺れたこと、Chicken or Beef?などを思い出す。

 

しかもこのマグカップ、例にもれず、Made in Chinaである。

それに、べつに可愛いデザインでもなんでもない。寸胴で肉厚。

 

当初、このマグカップは誰かの手に渡るべく、ハワイのお土産として買ってあったものだ。2つくらい余ってしまい、やむなく実家で使用されることになった。

わたしはその翌年から高校生になり、コーヒーや紅茶を飲み始めた。受験も始まったので勉強のお供に大きなカップがありがたく、たまに利用していた。

 

それから大学を卒業するくらいまでの間、誕生日に友人からマグカップを貰うことも何度もあったが、可愛い柄だったり華奢な作りで、数年で捨てるなどしていた(一つだけ、小学校の時にもらったものが去年まで保った)。そんな中、このマグカップは印刷がすこしも欠けることなく、しぶとく我が家に居残り続けた。

 

その後、就職の際に社宅に入ることに決まり、どうせ将来的には可愛い物を買いたいからと、まずは使い勝手のよくて丈夫なこのマグカップとともに一人暮らしをすることにきめた。

コーヒーや紅茶を何度も飲み、茶渋がつけばしっかりと洗う。IKEAのビビるくらい安いのに肉厚なグラスを3つくらい割ってる間もこのマグカップは健在だ。

 

そうこうしているうちに、15歳からの付き合いのこのマグカップは、あと2年で30歳になる私の、「人生の半分」をともに過ごしたことになると今日気づいた。

 

人生で出会ったもののなかで、何と長い付きあいになるかは「実際過ごしてみないとわからない」。これは人間関係においてもモノとの関係においてもそうだと思う。一回大破してしまったものを直してみたら、そのあと10年保っちゃった、ということはしばしばある。

 

最近、関係を「断つ」ことを意識的に行うようにしている。それは余裕のなさや、人の変化によって相容れない思考・自分の無意識からはみ出るようなモノとともに過ごすことが疲れてしまう自分がいるからだ。

そんななかで、関係性を大事にすることとは何かということを、このマグカップを通じて、ふんわりと気持ちを巡らせた。

 

今なんらかの関係を偶然もつこととなった方々やモノたちと、ずっと今のままでいられるとは思っていないし、そうありたいと思っているわけでもない。

ただいつか思い返したときに、よかったなあとか、そういう気持ちが持てるようになっていたら、それは素敵なことだなあとは思う。